2013年10月30日水曜日

文章と画像の処理資源は、同じなのか独立しているのか

先日紹介した認知変数連結論を読んでいて、とっても興味深かった部分があったので、ちょっと長めに引用します。

認知変数連結論―認知心理学を見つめ直す認知変数連結論―認知心理学を見つめ直す
中島 義明

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ワーキングメモリの処理要領には限界があることが知られている。このことから、「二重処理理論」に立つ研究者たちは、学習者に対する認知処理上の負荷を軽減することが大事だと説いている。そのための具体的工夫として、言語性情報と視覚性情報とを異なったモダリティで提示することを提案している。彼ら(Mayer & Moreno, 1998)のロジックはこうである。
いま、画像と文章とが視覚的に与えられたとしよう。この時、注意を分割する必要が起こることから、視覚性のワーキングメモリは加重負荷となり、その結果として、学習者が取り扱える関連情報の量が減るという。他方、文章は音声化し聴覚モダリティによりインプットし、画像は視覚モダリティによりインプットするとどうなるであろうか。この時は、視覚性のワーキングメモリは画像の表象の保持に用いられ、聴覚性のワーキングメモリは文章の表象の保持に用いられる。そして、ここから先のロジックが論文の中の表現としてでてこないので、筆者にはよくわからないところではあるが、したがって以下は筆者の推測であるが、文章と画像を異モダリティを用いて提示する時は各モダリティの中で注意の分割はなされていないので、両者を同一モダリティである視覚に提示する時に比べ、ワーキングメモリは加重負荷に陥らないということらしい。
・・・
「学習者が文章を聴覚性ワーキングメモリに保持し、画像を視覚性ワーキングメモリに保持する時は、これら両者の関係を構築する作業に注意資源をより十分に回すことが可能であるが、文章と画像の両者が視覚的に与えられ注意が分割された事態では、視覚性のワーキングメモリが加重負荷となり、学習課題として与えられた問題の解決に必要な首尾一貫したメンタル・モデルを構築する作業に関わる学習者の力を減少させてしまう」

この後にも筆者から見て、上記論文の論理の詰めの甘さなどが指摘されていて、とっても刺激的でした。こういうプレゼンなど、日常で頻繁に行う作業に直結する理論や解釈などは読んでてとても面白いですね。その理論によって、実際に行う行動が直接的に影響を受けるから。

最初は興味を持って読み始めたものの、論文の中で扱われているものが、概念的でありすぎたり、ミクロ的であると、日常生活とのつながりを想像することが難しく興味を持ち続けられない感覚が残ったりします。そういう意味で上記の分かりやすい日常生活とのつながりがないときでも、それを生活の営みの中でどんな風に位置づけられるのかを想像することは大切です。

最近は、プレゼンの中でイラストをどの程度使うのかをよく考えることがあるので、今後の発表などでも役に立つ視点でした。研究の進展なども興味を持って、追っていけたらいいなあ。