井上雅彦氏のブログを読んで、すごく納得、というかすごくバランスの良い記述があったので引用します。
あらゆる行動は認知に基づいて生じているわけではないということ。また必ずしも不適切とはいえない認知のもとで不適切な行動が起こる場合もあるからです。例えば「浮気をした相手を許せない」「もう二度としないで欲しい」という強い思いに基づいて起こる配偶者への暴力行為のように。
この場合、認知の歪みというよりは、暴力行動が問題であることは明白です。
不適応的な行動の前提として、常に不適切な認知が関与しているわけでもないことを理解しておくことが必要ではないでしょうか。
ある認知が「不適切」とラベリングされるのはその認知がそのあとに生じる不適切な行動のきっかけとなっている場合です。その認知自体が常に不適切というわけではないのです。たとえ誰かに対して怒りや攻撃的な『認知』を抱いたとしてもそれ自体は社会的には罪にならないということです。 …中略…
認知を行動として捉え同様に機能分析することで臨床の幅が広がるように思うのです。
「よくない認知?」 | 応用行動分析学&特別支援教育探求道
僕も行動療法に自分の土台を置いているので、認知を機能分析するという考え方はすごく好きです。けれど、これを実践しようと思うと中々難しい。先行事象が行動への制御力をもっているかどうかを検証していくには、その要因を操作して行動の生起頻度が変化するかどうかを検討することができると良いんですが、要因操作をせず(介入するということ自体が操作なのですが)介入を立案して支援するってパターンになりがちです。
なので、その辺りの操作が臨床場面でできると、とても分かりやすいなと感じました。そういう方法について考えてみます。
例)妻の夫への暴力行為が頻繁に生じており、強度も強い。5年前に一度、夫が浮気をしたことがある。
夫が23時を過ぎても帰宅をしないと、妻は「今、夫は浮気をしているのではないか」「もう二度と浮気をしないで欲しい」と考え始める。夫が帰宅すると「きっと浮気をしていたに違いない、許せない」という考えが頭をよぎる、妻は、夫を繰り返し殴打する。夫は「仕事だった、浮気はしていない、遅くなってすまなかった」と謝りつづける。
みたいな状況があるときに、23時から英会話のシャドーイングだったり、本を音読したり、思考反応と両立しにくいようなことをしてもらう、夫が帰った時に内言で数を数えさせるだとか。思考が生じにくいような設定をして頻度が変わるかどうかを検討する。
思考反応を妨害して頻度が減少するのなら、認知変容を積極的に進めるべきだし、思考反応は生じていないのに暴力行動の頻度が減らないのなら、それ以外の先行刺激操作・随伴操作を試みるというようなことになるのだろうか。
*注)以上は、あくまで想像で、実際のケースと全く関係ありませんし、そういった対応を管理人がするという話しではありません。他害行為を容認しているわけではありません。
それでも、はっきりくっきり結果が出るかというと中々難しいことはあるかもしれませんが、臨床場面で要因を変化させ、結果を見て、次の手を考えるということはやっていかなければならないですね。