APA書式の「認識論」
「書式の認識論」と言われても中々ピンとこないですよね。要は、その書式が定められている理由や意図は、どのようなものであるかという話しです。少し長いですが、引用します。APA書式は、論文の構成、句読点の付け方、統計的データの表示や図の描き方、表題の選び方などについて非常に数多くの細かな指示を与えている。しかし、この書式には、実はそれ以上の意味合いが含まれており、これらの技術的な面の裏側に、ある特定の認識論が存在しているということに留意しなければならない。
心理学は一つの学問として存在し得るように、すなわち、異なる視点や方法論を何とかして同じ屋根の下に住まわせようと今でも苦闘を続けている。・・・心理学はしばしば「こころと行動の科学」と定義される。この心理学が一つの科学であるという考えは、APA書式の下に横たわる認識論に固有のものであり、したがって、アメリカ心理学会が目指す統合とは、正統派の心理学はすべて科学に基盤を置くものでなければならないということになる。しかし、心理学が科学ないしは科学的な企てかどうかということについては、長年にわたって議論され続けてきた認識論上の大問題なのである。この様にAPAの書式は、単に「みんなの書いた文章が同じ形になって読みやすいように」という以上の意味合いが背景にはあるんですね。
心理学が真に専門職として健全な発展を遂げるためには、それが保健の分野において独自な貢献をなすことが鍵となる。ここでいう独自の貢献とは、科学者兼実践家モデルを受け入れて実行する事であり、保健専門職としての心理学の将来は、ひとえにボールダー・モデルを真剣に採り入れることにかかっている。・・・ボールダー会議が遺したもっとも重要なメッセージは、臨床倫理学は科学的基盤をもつ専門職であるという定義に参加者一同が同意したこと、すなわち、臨床的介入に対して科学的態度を養うことの大切さを認めたことである。科学者・実践家モデルは今でこそ当然の話しになっていますが、それを確立してためには多くの苦難があったのだと思います。また、科学者・実践家モデルを日本の臨床心理士が体現できているのか?実行できているのか?というのは、甚だ疑わしい話です。 この科学者・実践家モデルに重要な役割を果たしたのが、上記のボールダー会議です。ボールダー会議について、私はあまり知らなかったので調べてみました。
第2次世界大戦後のアメリカにおいて,多数の帰還兵に対する精神療法や再雇用のための職業教育やカウンセリングの必要性と精神科医の不足により,専門的な心理士を育成する要求が劇的に高まった(Drabick & Goldfried,2000;Petersen,2007).復員軍人援護局(Veterans Administration)が臨床心理士向けの訓練プログラムを設けたこと,アメリカ合衆国公衆衛生局(United States Public Health Service)が訓練助成金の供給したこと,アメリカ心理学会(American Psychological Association: APA)が訓練に関する 委員会を開いたことも専門的な心理士の育成熱に寄与したといわれる(Drabick & Goldfried,2000).
そうした社会的機運の中で,精神保健研究所(National Institute of Mental Health:NIMH)とAPA の援助を受けた臨床心理学訓練プログラムの標準化のための会議が,1949年夏,コロラドのボルダーで2週間にわたって開催され,73名の関連分野の代表者たちが集まった (Drabick &Goldfried,2000; Petersen,2007).
村椿 他 (2010) 実証的臨床心理学教育における科学者実践家モデルの役割
APA書式は心理学の世界へのパスポート
論文の書式や、細かな部分までチェックをしたり、気を配ったりしなければならいのは、煩わしいことではあります。けれど、以下の文章は、そういった煩わしい作業をする上でとても励みになります。APA書式に従って論文作成の学習をするということは、とりもなおさず、一つの文化的変容過程を体験することと言っても過言ではない。・・・もし私たちがAPA書式に従って論文を書くときには、その底辺に流れる認識論を無条件に受け容れることができなくても、それがどのようなものかは一応心得ておく必要がある。たとえその個人が心理学についていかなる哲学的ないし認識論的志向を抱いているにせよ、この書式によって情報を効率よく伝達できるということは、より広い心理学の世界へ仲間入りするための通行手形を手に入れたといってよい。すなわち、この学問の世界で研究者仲間の一員であることを証明するには、APA書式を使いこなせることが何よりも重要な鍵となるのである。こうやって心理学との接点を広げていくことや、自分も大きな科学的企てに参加をすること、繋がっているという実感を持つということは、とても大切なことです。「自分は臨床家だから」と研究を切り離したり、「研究もいつかはね」と先延ばしにしたりしていては、味わうことのできないコミットメントの感覚や知的好奇心が満たされる瞬間があるのだと思います。
自分を振り返ってみると、以前は、臨床の技術をどうすれば身につけられるか、カウンセリングで効果を出すにはどうすれば良いのかという所ばかりが気になっていました。科学的にあることよりも、目の前の問題を解決できる道具を探して求めていたように思います。確かに、その仮定で得られたものも沢山あります。けれど、そろそろ臨床心理学に携わるものとして自分の立ち位置を見直すべきだと感じています。