今朝も、関係フレーム理論(RFT)をまなぶを読みながら、そんな感覚をブログに書き残しておこうと思った。
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思ったけれど、もっと的確な批判エントリーがあったのでそちらのリンクを載せておきます。ボクのは、批判というにはとても幼稚すぎる内容になりそうなので。
ACTを批判する ~その1 : ブログ:滋賀・福井のカウンセリング 認知行動療法のCBTセンター
認知行動療法が示してきたエビデンスへの批判を読むと、「それじゃあ、個人セラピーなんて形式をACTは捨て去ってしまえばいいじゃないか?」と思う。
ACTセラピストは言う。CBTパッケージに効果があったからといって、CBTセラピストの言うことが正しいわけではない。我々が正しいのだ、なぜならプラグマティズムに基づいて考えているから、仮説構成概念を使わないから、文脈、機能を基準に考えているから・・・と。
少なくとも選択される主義に正しさなど、ない。それこそ「価値」感に基づいて選ばれるものであるから。確かに、主義が選択された後、同じ価値観を共有した人々の間に正誤性の基準というものは生まれるのであろうけれど、それは他者の価値観が間違っているということにまで踏み込めるのか?という疑問はある。
どこか、ACTが放つ批判メッセージは、「共産主義者は間違っている」「イスラム教徒は非科学的だ」といったニュアンスのものが含まれているように感じる。
おそらくルールの制御を弱めて、随伴性形成行動を増やしていこうとするなら、集団治療でエクササイズを用いた方がずっと効率が良い。マインドルネス・ストレス低減法のような形で、導入部分こそ個人セラピーでも、そうやって「不安はなくすことができない」「言葉は言葉でしかない」などの価値観を共有できるコミュニティを作って、生活している実際の環境の中に一緒に飛び込んでいくほうが、ずっと生産的だし直接の随伴性を観察できるわけだから効率が良い。
ただ、そこにはCBTに対する憧れがあるのだ、自分たちの方が正しいと思っているのに、自分たちより緻密に考えていない者たちが、賞賛されメインストリートにいることが我慢なら無かったのではないか?第3世代行動療法がこれほど派手に打って出たのは、それこそ文脈から考えると注目獲得の機能があるように見える。
1対1のカウンセリング内で尊敬されるセラピストという立場を手放せないでいるのではないかとも思う。
また、マインドフルネスが効果があると主張することと、他の方法が効果が無いと主張することは必ずしも同じではない。認知療法家から見れば、「我々は不合理な信念という内容のみを変えようとしているわけではない」と反論し、そこについては「でもベックが言ってるよ」「この人も最近言ってるからそうなんでしょ?」と、こういった議論は数多く耳にするけれど、あまり議論が進んでいるようには思えない。批判される側も十分に納得できる批判というのは、どんな立場でも難しいものだ。
少なくともCBTを行ってきた人たち(~の人たちというように別れはしないんだろうけど)は、80年代から、患者を治し続けてきた。矢面に立ってきたといってもいい。それこそセラピーで起こる行動でクライエントが変化するという随伴性をこの20~30年間経験してきた強化歴はCBTセラピストの方がはるかに多い。学習機会、体験量では、CBTに明らかにアドバンテージがあるだろう。彼らのバーストがより心理療法を盛り上げてくれることも楽しみだ。
最後に一つ。ACTに期待することは、風見鶏たちが政治ゲームではなく、セラピストとしての自分の価値観に触れ、セラピーの舞台に責任を持ってコミットメントを発揮してくれることであるかもしれない。