2013年12月27日金曜日

A History of the Behavioral Therapies の訳本を読んだ

  邦題の「認知行動療法という革命」というのは明らかに誤訳であるし、何らかの意図を感じるのでここでは、原著のタイトルを書いておきます(といっても内容自体も削られているので、そのものとはいえないのですが・・・)。

認知行動療法という革命: 創始者たちが語る歴史


  この本を読むときには、ぜひ科学論の展開を読んでおいてもらいたい。クーンのパラダイムや、ポッパー、ファイヤーベントの考え方について予備知識を持っておくと、行動療法という心理療法の発展を理解するうえで、科学をとりまく世界を一歩引いた視点から見ることができます。

改訂新版 科学論の展開改訂新版 科学論の展開
A.F.チャルマーズ,高田 紀代志,佐野 正博

恒星社厚生閣
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  スキナーやビジューについての記述はとても興味深かったです。何より、編者たちによる序章が自分には最も刺激的でした。

  彼らは疑問をもち、急進的で、権力構造に立ち向かう勇気をもつ、いわば掟破りの者たちだった。とはいうものの、成功する確信があったわけではなかったことは、心にとどめておく必要がある。行動療法は成熟するにつれて、革新的なものは減り、慣習的なものになった。この一因は、私たちの価値のいくつかが権力構造に吸収されていったからだろう。妥協があったことも明らかである。私たちはもう、医学モデルに対する急進的な批判家ではない。・・・そして、私たちの目標は控えめになり、所属機関を移るのは探究心のためではなく、生計を立てるためになっている。徹底的に疑問を発し、たとえ一般受けしなくても自分の信念を公言する大胆さ、熱意や勇気は、そのほとんどがより保守的で慣習的な規律を守る方向に向かっている。成熟した行動療法の一部は派生的なもの、つまり規範科学になっているが、この中で私たちは、初期の創造性も失っていった。問題となった妥協に挑戦する革新派はどこにいるのだろうか?

  この部分を読んで、「行動療法家でありたい」と自分のアイデンティティについて確認できた。今や、CBTは日本においてもマジョリティになってしまった。いや、なることができたのであるけれど。行動療法学会も大きくなり、会員が増えれば増えるほど、かつて身の毛がよだつほど好きになれなかった精神分析の重鎮の周りをイソイソと動き回る金魚のフン的な人々もCBTの中に増えてきている。それはある意味で当然の結果だ。
  もちろん自分の中にも権威主義的な部分はあるし、富も名誉にも目がくらみそうになることはある。それでも、革新的で、挑戦的であった行動療法家たちのように自分もありたいと思うのです。私がACTセラピストを名乗ることは無いでしょう。そんな目新しく、綺麗な名前は自分にはもったいない。聞こえのいい言葉だけではなくって、行動療法が抱える負の遺産、過去の罪も背負って歩いていきたいと思います。