2016年7月18日月曜日

社交不安の回避とERP

*エビデンスのある話でなく雑感

SADの回避行動といった時に、視線を外す、手の震えを隠すためにモノをより強く握る、スピーチを早く終わらせるために早口で喋る、などが例として挙げられる。

一方で、Clark and Wells (1995) の理論論文以降、自己注目状態が社交不安の維持に重要に関わっているとされている。自己注目状態によって、内的な感覚(動悸、熱感、発汗など)に過度に意識が向き、それによって自分が危機的な状況にあるという解釈を強める。例えば、一般的な心拍の増加であっても、自己注目により過度に意識され「ドキドキしているということは、自分が緊張している証拠だ。顔が熱い。きっと赤面して変に思われているに違いない。」と。

そして、90年代以降の注意バイアス研究でも、脅威刺激に注目しやすいのか、注意を外しやすいのか、それが時間を追って変化するのか、など盛んに研究されていた。私も当時学生で文献を読んだりしていたけれど、今はそういう領域で一定の結論は得られたのだろうか?


雑感

自己注目が独立した概念である部分もあるのだろうけど、回避行動としても捉えられるように思う。回避行動の一部である側面、回避行動と混ざり合っている部分があるのではないか?

特に、過去にあった恥ずかしい体験を思い出すという状況で顕著に機能するだろう。

自分の中にある、ほろ苦い、いや、苦々しい思い出。そういうものが侵入してきたときに、過去の恥ずかしい体験をずうっと視覚的にイメージし続けて、その時相手がどんな顔をしていたかといった詳細を眺めることはしていないんじゃないだろうか?

おそらくすぐに「うわぁぁあああ」と羞恥心が襲ってきて、目玉が白目をむくようにイメージをかき消し、「なんであんなことを」、「くそッ」、「馬鹿だオレ」と評価的な言語的なモードに切り替える。

テレビでなぜか過去の自分の失敗映像が流れていてすぐにチャンネルを変えちゃうような感じ。社交不安で「注意」という用語が使われる理由の一つはこの、回避が非常に短時間で素早く生じるということなんだろう。

これはある意味で注意である。内的なイメージから注意が外れるといううか、社交不安誘発イメージからの回避的注意。

一般的には、回避行動が「くそッ」とかいう言語反応だったらERPするときには、それを生じないようにするんだけど、むしろ注意をそらすことをしない、チャンネルを変えない、その映像をしっかりと見ることが大切。

加害恐怖・確認強迫OCDでは、メンタルチェッキングとして過去の映像を詳細にみることが回避になってしまうけれど、社交不安ではむしろ注意を切り替えず恥ずかしさを感じたその時に戻って相手の顔の表情や自分の様子、周囲のリアクションをゆっくりと再現することがエクスポージャーとして機能しやすいだろう。

評価せず、まずその場にとどまるって感じだろうか。