2012年5月14日月曜日

方法としての動機づけ面接

原井宏明著作の「方法としての動機づけ面接」を読みました。



当初、「本書に書かれていることに、とても同意できる」「その通りだ」とうような書評を書こうと思っていたのですが、引き込まれるように読んでいくうちに、少し違ったことを覚書として残しておきたいと思いました。
緒言の中では、面接技術をつけるための方法として
本では身につかないというエビデンスはないが経験上の自身はある。面接の本(神田橋條治, 1990/1995; 土居健郎, 1992)を読んで勉強し,「患者の話を聞け」と言われても,何もできるようにならなかったのが私自身だからだ。
もし,読むだけで動機づけ面接ができるとあなたが期待しているならば,私はこの本を返品することをお勧めする。
と書かれています。


動機づけ面接(MI:Motivational Interview)の本を手にとる時に私は、「自分はエビデンスベースの新たな精神療法を覚えたいわけではない,精神療法とは何かについての疑問があり,それに答えられるような研究を進めたいと思っているからだ」と、最初からそう思っていました・・・と答えられるほど純粋に本書を手にとったわけではないな、と思ったのです。
原井氏はその著書の中で、繰り返し方法を使うこと事態が目的になってしまうことへの注意喚起を行っています。本書の中でも、
ある心臓外科医がいて , 神の手をもつ外科医の道を極めることがその人の人生の目的であるとしたら , その人は治療を持つ敵にした人生を歩んでいる。
と指摘しています。

「正直にいって、私はカウンセラーとしてこの手の欲求を持っている」ということを本書を読んでいて感じることが何度もありました。目を背けたい気持ちと裏腹に、自分の中のそういった答えを欲する姿勢であるとか、間違ったことをしてはいけないような心配、正しくないTherapyをすることへの恐れ、人よりも面接技能を持った人間でありたいという欲のようなものが、姿を見せるのでした。

学部や大学院で学んでいるときにも、「自分は臨床家としての才能があるのだろうか?治療的な面接を自分なんかができるのだろうか?」と考え、文献を読み、スーパーバイズを受け、逐語記録を読み直したりしていました。あの頃の自分への疑念や、心細い気持ちを、よーく思い出すことができました。

そして、本書の表紙を眺めながら、こんな自分でもクライエントから多くのことを教えてもらいながら、面接を生業にして生活していることを考えさせられます。それはとても有難いことだし、だからこそ、自分の面接の品質をすこしでも改善して、今の、そしてこれから出会うクライエントへ還元していかなければならない。

あとがきには、MIを酒造に例えた話しが以下のように綴られています。
本を読めばMIの概念が分かるだろうが , チェンジトークを見分けるための舌は身につかない。・・・(中略)・・・しかし , それ以上に実際に患者やグループの中でMIを使い , その中で相手とのやりとりの中からチェンジトークを見いだせるようにして欲しい。セッション中の患者の発言が変わり、それが実際の患者の行動変化という形で現れるようになったら,良い味がだせて,それが消費者の行動を変える結果につながれば,後はそう遠くはない。

「原井宏明の情報公開」を読み、DVDを見て、エントリーできる研修を探すというところから研鑽に努めていきたい、そして自分の見たくない感情も傍らに抱えながら面接に取り組み品質の改善に努めていく、とチェンジトークを表明してみました。