2013年12月22日日曜日

社交不安の「最悪のストーリー」

*このエントリはエビデンスの無い雑感です

 OCDのイメージエクスポージャーを行う際に、最悪のストーリーをクライエントさんと一緒に作っていく。洗浄強迫や加害強迫の方などの最悪のストーリーを作っていく過程で、“恐れていること”、“そう考えるだけで、生理反応が生じる”物語ができていっているなあ、と感じられる。「もう自分は汚れてしまって、汚れが体の中に入って感染症にかかって、それを家族にうつして・・・」「さっきすれ違った人は血を流して倒れている。もう死んでしまった・・・」など。こういう過去形にしていくことで、ゾクゾク感が増幅する。

 SADへのイメージエクスポージャーを、最悪のストーリーという形で適用したことがまだないのだけれど、その場合にはOCDで使っている形をそのまま適用しても、十分な効果は期待できないかもしれないなあと、先日考えました。

 というのも自分も比較的社交不安は高いので、数日前に研究発表をしなければならない時には、ガチガチに緊張してしまいました。フロアの発表者席で自分の番を待っている時には、まあ、ドキドキしますし、息も浅くなっているのを感じます。そうして、良い機会だから最悪のストーリーを作ってみたりしました「緊張していることがフロアにばれる」「下手なプレゼンテーションだと思われた」「お偉い先生からダメなやつだと思われた」「自分の今後のキャリアも閉ざされ、ずっと不遇を味わう」などなど。ただこうした内容が私には、きちんと不安を感じられている実感がありませんでした。

 社交不安の不安誘発刺激は、シンプルな刺激ではなく、もう少し曖昧で条件つきのものなのだと思います。完全に嫌われてしまった、それが明白な相手には極度の社交不安は生じません。リアリーの自己呈示理論のように、自己呈示欲求と現実自己のギャップに苦しむのです。なので、「良い評価を受けたいのに、それが叶わない」だとか「落ち着いて発表しているように見られないのに、自分が不安なことがバレてしまう」、「自分がうまくやりたいと思っていることを知られてしまう」などなど、自分の希望があるのにそれが叶わないといったような、少し両価的であるもの、「最悪になるちょっと前のストーリー」くらいのものの方が不安を惹起しやすいのではないかなあ?と思いました。

 ただ、そうするとそれはそれで、そんなストーリーできちんと曝すことができるのかって問題もあるのだろうし。今後も継続して考えたり、文献をよんだりしてみよう。