2013年11月17日日曜日

師弟関係の中で学ぶものとは何なのか?

現在の社会の中では、情報はネット上にいくらでも転がっているし、優れた情報のほとんどは書籍や論文の中にきっちりと収まっているものがほとんど。知識と体験があれば十分。

もしそうであれば、そういった知識を得て、経験さえすれば良いということになるのでしょうが、どうもそうでも無いように思うのです。

この前、久しぶりに大学に行って、基礎系の先生と話しをしてきました。

自分が大学教員になったばかりの頃は、所属が医学よりで周りは医者ばかりだったから、自分は論文を書かなければ、大学の中の立場がどうにもならない状況だった。幼い子どもと外出する時も、車の運転席には必ず論文を載せていて、遊ぶ時は子どもと遊ぶし、妻と子どもが買い物をする時には、ちょっと休んでるからと言って1ページでも論文を読んでた。

そういう姿を子どもが見て、妻も「お父さんは頑張ってお勉強してるんだよ」と言ってくれるから、自分の子どもも、自分の可能性を試してみようと今も研究者として海外で活動している。

ということらしい。先生のお子さん達にとって、その体験は、知識や自分で何かをするのとは、また違った大きな意味があったのだろう。

これは、不安障害の集団療法でも共通する部分だと思うのだけれど、態度や姿勢という比較的広範な行動に影響を与える反応クラスは観察学習できるのではないかと、自分の中で仮説をたてている。もう少し言葉を変えてみれば、ウィリングネスという反応クラスは、ルールやエクササイズでも学べるのかもしれないが、自分の知覚にいる人の背中を見ることで学習できる側面があるのではないかと思う。

臨床家としてもみても、良い師をもち、クライエントさんの姿を見て、自分が学ばせてもらったことが数多かった。人と関わることで、成長できる部分がたくさんあるということだろう。(ただ、ゴマすりや権威主義では、処世術しか身につかない・・・)