『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。作者は、親鸞に師事した唯円とされる。書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。
ウィキペディアより
これまで歎異抄については、ほとんど知らなかったけれども、非常に面白い番組・ムックだった。
宗教という領域は社会とは異なる価値体系をもっています。だから、ときには反社会的行動にもつながります。しかし、安易にそこへと行ってしまわないようにリミッターが設定されているのです。それが教義や教学であったり、先人の導きであったり、伝承や伝統様式であったりするのですが。『歎異抄』[は親鸞の思想体系と呼応する形で設定したリミッターだったのではないでしょうか。
そんな中に気になる一文を発見。
実はオウム真理教事件の際も、このことが浮かびました。オウム真理教は仏教各派・ヒンドゥー教・キリスト教などの体系のなかから、自分たちに都合のよい部分だけを切り貼りして教義を作っていました。いろんな宗教のパッチワークをつくれば、ハイブリッドなすごい宗教ができあがるかと言えば、そうはなりません。逆に各体系のリミッターが効かず、暴走が始まる可能性が高くなるのです。
現代人は、「今、自分が抱えている苦悩に都合がよい宗教情報を求めている」といった態度で宗教を活用しようとする傾向が強いようです。これを「宗教の道具箱化」などと言ったりします。使える道具を道具箱のなかから選ぶような態度を指します。しかし、宗教を甘く見ていると、えらい目にあいます。宗教は簡単に日常を壊すほどの威力をもった領域です。やはり、まずはひとつの体系を誠実に地道に歩むところから始めるべきでしょう。
これを心理療法に置きかえると、こんな風になる。
折衷派心理療法は精神分析・ブリーフセラピー・認知行動療法・来談者中心療法などの体系のなかから、自分たちに都合のよい部分だけを切り貼りしてセラピーを作っていました。いろんな心理療法のパッチワークをつくれば、ハイブリッドなすごい心理療法ができあがるかと言えば、そうはなりません。逆に各体系のリミッターが効かず、暴走が始まる可能性が高くなるのです。
現代人は、「今、自分が抱えている苦悩に都合がよい心理療法情報を求めている」といった態度で心理療法を活用しようとする傾向が強いようです。これを「心理療法の道具箱化」などと言ったりします。使える道具を道具箱のなかから選ぶような態度を指します。しかし、心理療法を甘く見ていると、えらい目にあいます。心理療法は簡単に日常を壊すほどの威力をもった領域です。やはり、まずはひとつの体系を誠実に地道に歩むところから始めるべきでしょう。
なんて。これは、折衷派の人にとってあまりにもイジワルな表現です。むしろ私もこういう点に気を付けなければと思います。使えそうな技法や理論を安易に拝借していたら、いつか自分やクライエントさんに思わぬ副作用があるかもしれない。そういうリミッターを持つということは、大切ですね。