2017年7月30日日曜日

似顔絵を描くように臨床像記述を書きたい

「死すべき定め」の翻訳をされた原井先生のブログに以下のような記述がある。

私の場合は,翻訳で模写をしている感じだ。もし私が芥川賞を受賞した小説を模写するのであれば,私はそれには魅力を感じない。私は小説家になるつもりはないからだ。Gawandeの記述はあくまで医者の視点からの記述である。

P28
”今日は,どうされたんですか?”その朝,一番の患者であるジーン・ガブリルに医師が尋ねる。彼女は85歳,縮れた短い白髪で,楕円形の眼鏡をかけ,ラベンダー色のニットシャツを羽織り,目が会うと優しい笑みがさっと浮かんだ。小柄だが体格がしっかりしており,診察室には自分から安定した歩き方で入り,片側の脇には財布と上着が挟まれていた。娘は後からついてきていて,藤色の矯正靴の他には支えは不要だった。彼女はかかりつけの内科医が受診を勧めたから,と答えた。

コンパクトで明快な初診時現症の記載である。私はこれを書いて震えた。私は新患の患者を毎日3名は診ている精神科医である。だが,患者の様子をこれだけ具体的にかつコンパクトにまとめることが私にできているだろうか?恩師の山上敏子先生は「患者の様子が動画で見えるように書け」と教えた。そうした初診時現症の書き方の見本がこの本の中にある。患者の様子を書くことは精神科医だけでなく,外科医にとっても必要だし,患者の死が目前に迫っているときには何科であれ,患者の診断がなんであれ,その人を患者としてではなく人として理解し,記載することが必要だろう。
ガワンデ著「死すべき定め」その2: やさしい精神科医療の選び方

私は、心理検査を取る時に、患者さんの似顔絵を簡単に描いておく。所見を書く時や、過去のデータを見なおすときに、その人がどんな人だったを思い出しやすいからだ。似顔絵を描くのには、コツがある。重要なのは輪郭やパーツの「配置」であり、それぞれのパーツにどんな種類があるかというパターンを知っておくことだ。ここ数年で似顔絵の技術は高まったように自負している。
そういった似顔絵と同じように、文字によって臨床像を記述する技術も磨いていくことができるのだろう。表現のパターンを知り、それを適切な順番で並べていくといったことだろうか?そのアプローチについて、アトゥール・ガワンデは、「医師は最善を尽くしているか」の中でこう書いている。

最初のアドバイアスは、私の好きなポール・オースターのエッセーから引いている。「筋書きにない質問をしなさい」。医師の仕事は見知らぬ人に話しかけることである。ならば、その見知らぬ人からいろいろ学んでもいいはずだ。
・・・
どの時点でもいいから、患者と時間を共有することを考えてほしい。筋書きにない質問をしてみるのである。「出身はどこですか?」あるいは「どうしてボストンまで来たんですか?」さらには「昨夜のレッドソックスの試合は見ましたか?」深くて重要な質問をする必要はない、ヒトとしてのつながりを持てればいい。こんなつながりには興味がないという人もいる。そういう人はただ腫瘤を見てもらいたいだけだ。それならそれでいい。腫瘤を見て自分の仕事をすればいい。
しかし、たくさんの反応が返ってくることにも気がつくだろう。なぜなら、患者は礼儀を知っていたり、友好的だったり、あるいは人のつながりを求めていたりするかもしれない。そういうことが起こったなら、二文以上に会話が続くように努めるといい。話を聞くのだ。記録も取る。患者は右鼠径部ヘルニアの46歳男性ではない。患者は46歳の元葬儀屋で、葬儀ビジネスを嫌っており、鼠径部ヘルニアがあるのだ。

これは、とても示唆に富んだアドバイスだ。少なくとも我々心理士は、目の前の相手が「どんな1人の人間か」ということを理解しようと努める。しかし、それでもどこかで彼ら彼女らを「~な強迫性障害の患者」、「~な発達障害を持つクライエント」と捉えてしまっている時がある。そうではない、個性ある一人の人間に対して、物差しをあてはめた時に、精神疾患の診断名がついたに過ぎない。カウンセリングでの本人理解のためには全く関係のない「筋書きにはない質問」をするということも、目の前の一人の人を描く上では役に立つかもしれない。